言語化することが好き。 決して楽しいことばかりじゃないのにやめられなかった「書く」こと。 改めて好きだと気づいた今、感じたこと、考えたこと、もっと書いてみます。
*自分の役割
2008年11月04日(火) 22:53
第一回目。
前に書いたものをちょこちょこ載せていきます。

気が向いたり、今考えていることとシンクロしていたり。
自分は、ただ「書くことが好き」というだけではないのだと思う。
このことについては、後日書こうかな。。。

気が向いたら読んでくださいね。

***

仕事とは何かを考えてみた。いくつかの答えが浮かんだ。まず頭に浮かんだのは、生きていくための手段ということだった。なぜ、私は生きていく手段と思うのか。働くことで生活していくのに必要な金銭を得られるからか。しかし、金銭を得られなければ仕事ではないということでもなさそうだ。たとえば、専業主婦という仕事は基本的に働いたからといって金銭を稼いでいない。だが、立派に仕事をしていることはほとんどの人が認めるところだろう。

仕事で得られるのは金銭だけではない。そう考えた時、責任を負うもの、貢献するもの、社会での立ち位置、自己能力の向上などが思い当たった。きっと、今挙げたこれらはどれも「仕事とは何か?」という問いに少なからず答えるものだと思う。だが、最も的確に仕事というものを表していると私が感じたのは、「役割」という言葉が思い浮かんだ時だった。

生活のなかで、人は何かしらの役割を持っている。学生という役割、娘という役割、友達という役割、恋人という役割。普段特に意識しないだけで、それぞれの場所で違う自分を演じているだろう。当たり前のように持っている自分の役割。では、それが突然無くなってしまったらどうなるのだろう。学生という役割がなくなれば、授業が無い、学歴も無くなる。娘という役割が無くなれば、親と呼ぶ人が居なくなる。友達という役割が無くなれば、友達が居ないことになる。恋人の場合も同様だ。考えてみると、役割が無いということは、とても怖いことではないだろうか。

これは極端な話だと言われるかもしれない。だが、実際に役割がないことは非常に怖いことなのは事実だろう。バイト先、サークル、ゼミ、集団の中で自分の役割がないことを「気楽でいいじゃないか」と言い切れる人はどのくらい居るのだろう。そう言い切れる人がもし居たとしても、その人は自分では気づかないうちに何かしらの役割をそこで持っているのだと思う。自分の役割が無い。それは、つまり「自分が必要とされていない」ということだ。自分が必要とされていない、これに耐え切れる人はそう多くないのではないだろうか。

私はサークルでの役割とゼミでの役割を比較してみた時に、それをよく実感している。サークルでは去年から代表を務めている。嫌でも仕事は思い浮かぶし、自分で気づかなかったとしても打ち合わせや外部との連絡が否応なしに入ってくる。また、活動が高校生の頃から続けてきた内容ということもあり、普段の活動の中で手順はもちろんのこと、指摘すべきことに気づいてしまう。忙しくて投げ出したくなることもしばしばだが、自分にしかできない役割が出来ていると感じられ、とても気は楽である。

一方、ゼミでは制作ゼミに所属しているが、未だに自分ができること、ゼミに貢献できることはあるのだろうかと悩むことがしばしばだ。やることはないわけではないし、むしろ時間に追われている。だが、「自分だけにしかない役割」、それが無い気がして今でも不安なのだ。「自分が居なくても、ゼミは何とかなるのではないか」、そういう不毛なことを考えてしまう。

このようなことを考えた時、2004年6月10日の朝日新聞夕刊でフリーライターの渡辺一史さんが書いていた記事を思い出した。「なぜ、ボランティアをするのか」というテーマだった。彼が取材した障害者介助のボランティアで目にしたのは、善意が渦巻く「感動ドラマ」のようなものではなかったという。

そこでは、社会で時に弱者であるはずの障害者から一喝され、精神的に押しつぶされそうになるボランティアの人たちがいた。その人たちは、ボランティアをする前は「自分の役割は何なのか?」と常に考えていたそうだ。ボランティアをすることで、自分の役割を見出し、自分の存在意義を再確認し始めたというのである。渡辺さんは記事の中で次のように述べている。「ボランティアとは、ヒマと余裕があるからするものではないという事実を知った。・・・(中略)・・・どちらが『支える側』でどちらが『支えられる側』なのか、わからなくなることがしばしばだった。」

このように、私たちは役割を持つことで自分の存在意義を感じて安心することができるのではないだろうか。自分は必要ないのではないか、頼りにされていないのではないか。必要とされていないなら、頼られていないなら、自分が居る意味はあるのだろうか。そんな不安を打ち砕き、必要とされていると感じさせてくれるのは何よりも、自分が持つ「役割」なのではないかと私は思う。その役割、自分の存在意義を確かめるために、私たちは仕事を求めるのではないだろうか。

そう考えると、仕事というものの枠は実に広いもののように思う。大金を稼ぐことや、誰もが憧れるような大企業に勤めること、そんな枠で仕事は括れない。仕事とは役割を持ち、誰かに、社会に必要とされることだからだ。金銭を稼がなくても、何気ない日常の行動だったとしても、自分の役割がそこで必要とされているなら、それは全て「仕事」に当てはまる。自分の役割がそこにあると感じられ、存在意義を実感できる。それが私の考える「仕事」である。

***

こういうふうに考えて、ちょっと前は言葉にしてみたのだけれど。確かに仕事って、すごく広い意味を持つ言葉だと今でも思っています。お金をどれだけ稼げるかとか、安定しているかとか、上場企業かとか、それはすごく絞った世界での「仕事」の話。

でも、実際に自分がどんなふうに働くのかを考える立場になると、そういうことばかりを気にしてしまいますね。それは決していけないことじゃないと思うし、夢ばっかり追っていても仕方ない、生活していくための経済力はある程度必要なわけで。働いている人がそう言っているのを聞くと実際、とても心に響きます。現実味があります。

でも、大前提として役割なしに仕事はしたくないなぁって思ってしまいます。どんな「仕事」につくとしても。こんなこと言うのは、まだ甘い証拠かなぁ。難しいなぁ。

とりあえず、スーツは動きにくいし、嫌いですね!
みんな私服で面接とかにすればいいのに!!!

今日も来てくれてありがとうございます。

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