言語化することが好き。 決して楽しいことばかりじゃないのにやめられなかった「書く」こと。 改めて好きだと気づいた今、感じたこと、考えたこと、もっと書いてみます。
*ずるいなぁずるいなぁ
2008年11月28日(金) 00:20
いろいろ書きたいことがあるけど、
何となくここで近況をかきたくないので我慢する!

というわけで、久しぶりに書いたものを載せてみます。
長いので分けますね。
読むよ!という希少な人は、
どうか疲れない程度に読んでくださいね!

今まで書いたものの中で一番長いものかもしれません。
何回載せれば終わるんだろうwww

***

好きな空間がある。大学で昼休みが始まる少し前、エレベーターを降りてからゼミ室に向かって廊下を歩く。このほんの数十秒間である。明るいとはいえない廊下、昼休みが始まる前は誰も歩いていない廊下。ほんの一瞬、寂しいというか、心細い気もする。しかし、自分の足音が廊下に響くたびに、まるで深呼吸しているような感覚に襲われる。そして、今日もまた頑張ろうとこの空間は思わせてくれるのだ。

私の好きな空間がここだと知っている人はおそらくいない。隠しているわけではないが、誰かに話したことはない。自分もそうだと共感してくれる人は居るだろうか。同じキャンパスに通う友達で同じように感じている人は居るかもしれない。大学の廊下の外観、雰囲気を知っているからだ。同じ大学ではない友達、家族に話してみて、私の感覚が伝わる気はしない。その空間を見たことがないからである。聞いて「なるほど」と思うことはあっても、共感できることはまず無いだろう。ゼミ室とはどんなものなのかをまず聞かれるかもしれない。日本ではない国に住む人に話してみれば、そもそも大学とは何かを説明しなければいけないかもしれない。

私の好きな空間を友達が知らないように、友達の好きな空間を私は知らない。違う国に住む人々が私の毎日の生活を知らないように、私も彼らの日常を知らない。自分の空間、限られた世界の中で私たちは日々生きている。それぞれの進む道は違い、感じていることもきっと違う。私が嫌だと思うことを楽しいと思う人も居れば、私が楽しいと思うことを不快に感じる人も居る。日本という枠組みだけでなく、世界という枠組みから見たら、その広さは計り知れない。だが、どんな生活を送っていたとしても誰にでも共通していることがある。それは、「生きている」ということだ。

「生きている」とは、どんな状態だろうか。生きていなければ何もできない。これは確かなことだと思う。食べること、勉強すること、遊ぶこと、寝ること。それぞれ個人差はあれど、生きていなければできないことだ。

生きることとは何かを考えたときにふと思い出すことがある。予備校でマンツーマン指導のアルバイトをしたときのことだ。私が指導していた彼女は高校二年生で、国立大学志望だった。彼女はよく次のようなことを言っていた。「もう死にたいって思うんです。やらなきゃいけないことがたくさんあるし…いくらやっても自分より頭のいい子はやっぱり居るんですよ。それか、早く四十歳くらいになりたい。受験を飛び越えられるから」。

彼女がそのようなことを言うたびに「受験できるってすごいことなんだよ。受験したくても、勉強したくてもできない子っていっぱいいる。なかなか結果に表れなくて嫌になるときでもそれを忘れちゃダメだよ」と私は言い続けた。受験がいくら嫌でも、彼女には将来なりたいものがある。そのためには大学進学は必須だったからだ。

やりたくないことでもやらなければいけない。一見理不尽に聞こえるが、生活していく上でこれは必ず出てくることだろう。それは逆にとても幸せなことでもある。死んでしまえばそれさえもできない。生きていれば、何かをするのに限りない可能性がある。「生」と「死」の違いはまさにそこにあるのだと思う。

だが、「生きているから無限の可能性がある」と言い切るのに私は抵抗がある。確かに死んでしまったら終わりだ。しかし、生きていることで多くの可能性があるとしても、それは自分が身を置いている状態や環境に左右されてしまうと考えるからだ。

***

うーん、やっぱり長い。
文字が詰まっていると読みづらいですね。
これでも見やすくしたつもりなんだけど(´;ω;`)
これ以上段落変えたら、変なところで区切れちゃうからなー。

とりあえず、続きは次回。

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