2008年11月30日(日) 23:47
グラコロじゃないよ。
今回の土日はキャリーケースを引っ張って過ごしたんです。
中にはパソコンやらスーツやら!
(みんな、毎週土曜深夜はラジオの日だよ!)
(俺の特技からサイトに行って聞こうね!)
はい、宣伝でした。
何か、いっつも荷物大杉。
どうやったら減るんだろ(´・ω・`)
***
同じく続きです。
やっぱり長すぎたわwww
あと一回でラストになります。
***
したがって、自分と全く同じ生き方をしている人は一人として居ない。私は自分の知らない生き方と出会うたびに少なからず衝撃を受ける。毎日が衝撃の連続だ。「生き方」というと何だかとても壮大な感じがしてしまうが、日常の何気ない仕草や行動から衝撃を受けるのだ。地方出身だということ、毎朝アルバイトをしてから授業に来ていること、新しい化粧品を使っていること、ダブルスクールに放課後通っていること。普段は意識していないだけで、何気ないことに生き方は表れている。知っても知らなくてもいいような何気ないことでも、それを知ったことで自分の考えが変わることは多い。
自分以外の誰かの生き方を知ること、何かを知ることは必要なことだろうか。私は今まで「知らないことを知るのは良いことだ」と考えてきた。知らない世界を知ることで視野が広がる。自分の世界しか知らないで生活していると、毎日の幸せを当然のように感じて生活し、感謝をしなくなってしまうと思っていたからだ。
だが同時に、未知の世界を知ることは毎日の生活を幸せだと思わないようになる可能性も孕んでいる。私は大学に通い、アルバイトをして、ゼミやサークルと自分の好きなことが出来ている。少し家が田舎にあって、通学に片道二時間半かかってしまうが、家から通えるだけ幸せだと思っていた。だが、大学で一人暮らしをしている友達に会って、考えが変わった。毎日の長い通学時間に嫌気が差し、両親と一緒に暮らせることを煩わしく思うようになってしまったのだ。
もちろん、実家から通えること、そもそも大学に通えること自体、幸せなことなのは百も承知だ。だが、一人暮らしが羨ましくないと言ったら嘘になる。朝早く家を出なければならないこと、アルバイトが限られた範囲でしかできないこと、不満はそれなりにある。しかし、話を聞くまでは自分の生活に不満を感じることは無かった。「知る」ということは、自分の今ある幸せを幸せだと思わなくなる可能性がある。
「知らない」で生きていくことは逆に幸せなことなのかもしれない。自分の今ある生活に魅力を感じて、周囲に感謝の気持ちを持つことができる。どのような形にせよ、自分より幸せそうに暮らしている人たちを目にすれば羨望の気持ちが少なからずわくだろう。自分以外の生活と比べることで、自分の生活がどの程度のものなのかを認識してしまう。
私は今まで、この「恵まれていて幸せな」社会にいる自分は、せめて他の世界を知るべきだと考えてきた。自分に何ができるのかはわからないが、自分が住むこの社会に感謝し、自分以外の誰かがどう生きているかを知ることが大切だと。日本に暮らす私のような生活をしていない人は不幸せで、今も毎日の生活に苦しんでいるのだから。そう思ってきた。
だが、私の考える「幸せ」とはいったい何なのだろう。家族が居て、売春もせずにすんで、きれいな水が飲めて、贅沢に食事ができて、勉強ができて、友達がいて、おしゃれができる。私が幸せだと考えていることを簡単に列挙していけば、こうなる。だが、家族が居なくても幸せに暮らしている人は居るし、おしゃれができなくても幸せな人は居るはずだ。生き方が人それぞれのように、幸せの基準も人それぞれで、何が幸せなのかを決めることは不可能に近い。
生きること、幸せの基準、考えれば考えるほど分からなくなる。自分の考える幸せが他の人に必ずしも当てはまるわけではない。生きていることで生じる可能性もどこまであればいいのか、どこまであれば幸せなのか。思いを巡らせれば巡らせるほど、自分の目線から考えた独りよがりなものになっていく気がしてならない。
***
次回でやっと終了です;;;
昨日今日は、モチベーションが上がると共に悩みも減ったり増えたりしたー。
よーーーーし!!!
今回の土日はキャリーケースを引っ張って過ごしたんです。
中にはパソコンやらスーツやら!
(みんな、毎週土曜深夜はラジオの日だよ!)
(俺の特技からサイトに行って聞こうね!)
はい、宣伝でした。
何か、いっつも荷物大杉。
どうやったら減るんだろ(´・ω・`)
***
同じく続きです。
やっぱり長すぎたわwww
あと一回でラストになります。
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したがって、自分と全く同じ生き方をしている人は一人として居ない。私は自分の知らない生き方と出会うたびに少なからず衝撃を受ける。毎日が衝撃の連続だ。「生き方」というと何だかとても壮大な感じがしてしまうが、日常の何気ない仕草や行動から衝撃を受けるのだ。地方出身だということ、毎朝アルバイトをしてから授業に来ていること、新しい化粧品を使っていること、ダブルスクールに放課後通っていること。普段は意識していないだけで、何気ないことに生き方は表れている。知っても知らなくてもいいような何気ないことでも、それを知ったことで自分の考えが変わることは多い。
自分以外の誰かの生き方を知ること、何かを知ることは必要なことだろうか。私は今まで「知らないことを知るのは良いことだ」と考えてきた。知らない世界を知ることで視野が広がる。自分の世界しか知らないで生活していると、毎日の幸せを当然のように感じて生活し、感謝をしなくなってしまうと思っていたからだ。
だが同時に、未知の世界を知ることは毎日の生活を幸せだと思わないようになる可能性も孕んでいる。私は大学に通い、アルバイトをして、ゼミやサークルと自分の好きなことが出来ている。少し家が田舎にあって、通学に片道二時間半かかってしまうが、家から通えるだけ幸せだと思っていた。だが、大学で一人暮らしをしている友達に会って、考えが変わった。毎日の長い通学時間に嫌気が差し、両親と一緒に暮らせることを煩わしく思うようになってしまったのだ。
もちろん、実家から通えること、そもそも大学に通えること自体、幸せなことなのは百も承知だ。だが、一人暮らしが羨ましくないと言ったら嘘になる。朝早く家を出なければならないこと、アルバイトが限られた範囲でしかできないこと、不満はそれなりにある。しかし、話を聞くまでは自分の生活に不満を感じることは無かった。「知る」ということは、自分の今ある幸せを幸せだと思わなくなる可能性がある。
「知らない」で生きていくことは逆に幸せなことなのかもしれない。自分の今ある生活に魅力を感じて、周囲に感謝の気持ちを持つことができる。どのような形にせよ、自分より幸せそうに暮らしている人たちを目にすれば羨望の気持ちが少なからずわくだろう。自分以外の生活と比べることで、自分の生活がどの程度のものなのかを認識してしまう。
私は今まで、この「恵まれていて幸せな」社会にいる自分は、せめて他の世界を知るべきだと考えてきた。自分に何ができるのかはわからないが、自分が住むこの社会に感謝し、自分以外の誰かがどう生きているかを知ることが大切だと。日本に暮らす私のような生活をしていない人は不幸せで、今も毎日の生活に苦しんでいるのだから。そう思ってきた。
だが、私の考える「幸せ」とはいったい何なのだろう。家族が居て、売春もせずにすんで、きれいな水が飲めて、贅沢に食事ができて、勉強ができて、友達がいて、おしゃれができる。私が幸せだと考えていることを簡単に列挙していけば、こうなる。だが、家族が居なくても幸せに暮らしている人は居るし、おしゃれができなくても幸せな人は居るはずだ。生き方が人それぞれのように、幸せの基準も人それぞれで、何が幸せなのかを決めることは不可能に近い。
生きること、幸せの基準、考えれば考えるほど分からなくなる。自分の考える幸せが他の人に必ずしも当てはまるわけではない。生きていることで生じる可能性もどこまであればいいのか、どこまであれば幸せなのか。思いを巡らせれば巡らせるほど、自分の目線から考えた独りよがりなものになっていく気がしてならない。
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次回でやっと終了です;;;
昨日今日は、モチベーションが上がると共に悩みも減ったり増えたりしたー。
よーーーーし!!!


