2008年12月01日(月) 23:25
今まで書いたものをちょこちょこ載せています。
これで終わりです!長々とすみません( ̄∇ ̄;)
***
「生きること」をテーマにしなくても、自分にとってもっと書きやすいテーマはあったはずだった。それでも、わざわざこの大きなテーマを私が選んだのには理由がある。「生きること」、それは今まで書いてきたもの、考えてきたもの全てに共通していることだったからだ。書いていて納得がいかず、消化不良で終わったテーマ。だが、そのテーマのどれもが生きていることを前提としての内容だった。生きていなければできないことばかりだった。自分の中でひっかかったままのテーマも大前提の「生きること」を考えれば、消化できるかもしれない。そう思ったのだ。
誰しも悩み、立ち止まることがある。人によってその深刻さは異なるが、自分の進路、人間関係、経済格差、悩みは尽きない。生きていく中でもがき、苦しみ、どうやったら自分が納得のいく答えを導き出せるか、考えている。自分の幸せを始めとして、さらには自分が大切だと思う人の幸せについて考える。生活の中でさまざまな人の生き方に触れ、自分の生き方について考える。自分はどうすればいいのか、何をしたいのか、何をすれば幸せになれるのか。悩むとき、躓くとき、私たちはいつも自分自身と向き合わなければならない。生きていくことは結局はその連続で、死ぬまで終わりは無いだろう。
「私より幸せな人をすべて殺せば、私も幸せになれますか?」これは、2008年6月11日の東京新聞のコラムで引用された言葉である。同月8日に発生した秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大容疑者が事件前に携帯サイトの掲示板に書き込んだものだという。この記事を読んだ時、何と言ったらよいのか、私はすぐに言葉が出てこなかった。だが、今は違う。はっきりとその問いに「幸せになれるわけがない」と言葉を返せる。自分が幸せであるか、幸せでないか。決めるのは周りに居る人々ではなくて、自分自身が真正面から向き合って決まることだからだ。それは他人との闘いではなく、自分との闘いだ。加藤容疑者がどれだけ苦しんでいたのか、幸せだと感じられる時がどれだけあったのか。どんなにメディアが彼の出生を調べあげたところで、それは分からない。彼本人にしか分からないのだ。どれだけ思い悩んだか、幸せだとどれだけ感じるかは自分にしか判断できない。
身を置く社会が違う、環境が違う、価値観が違う。私が気にしてきたことは生きることを考えるのに欠かせない要素ではある。だが、生きていくことはもっと単純で、誰との闘いでもない。自分に関わることを把握し、周囲のことも頭に入れ、悩み、解決の糸口を探し出す。生きている人はみな、自分自身と闘っているのだ。人間関係に悩む自分、格差に怒りを覚える自分、性差別に悩む自分。この世界で生きる自分と、とことん向き合う。生きていく中で出くわす全ての問題解決の土台は、ここにあるのではないだろうか。この土台なしに、自分が納得のいく答えを出せることはないだろう。
どんな社会に所属していても、どんな健康状態であっても、生きていく上で共通していること。それは「自分が納得のいく幸せを求めて、必死に自分と向き合っている」ということではないだろうか。それができるとき、私たちは自分で満足のいく結果を得ることができる。また頑張ろう、生き続けようと思うのもまさにこのときなのだろう。
***
『生きることは自分と向き合うこと』というタイトルで書いたものです。
書いていて、途中で何が何だか分からなくて投げ出しそうになったものの…
何とか書き上げたものの一つです。
最後まで目を通してくれた方、ありがとうございました。
自己満に付き合ってくれてありがとう。・゚・(ノД`)
これで終わりです!長々とすみません( ̄∇ ̄;)
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「生きること」をテーマにしなくても、自分にとってもっと書きやすいテーマはあったはずだった。それでも、わざわざこの大きなテーマを私が選んだのには理由がある。「生きること」、それは今まで書いてきたもの、考えてきたもの全てに共通していることだったからだ。書いていて納得がいかず、消化不良で終わったテーマ。だが、そのテーマのどれもが生きていることを前提としての内容だった。生きていなければできないことばかりだった。自分の中でひっかかったままのテーマも大前提の「生きること」を考えれば、消化できるかもしれない。そう思ったのだ。
誰しも悩み、立ち止まることがある。人によってその深刻さは異なるが、自分の進路、人間関係、経済格差、悩みは尽きない。生きていく中でもがき、苦しみ、どうやったら自分が納得のいく答えを導き出せるか、考えている。自分の幸せを始めとして、さらには自分が大切だと思う人の幸せについて考える。生活の中でさまざまな人の生き方に触れ、自分の生き方について考える。自分はどうすればいいのか、何をしたいのか、何をすれば幸せになれるのか。悩むとき、躓くとき、私たちはいつも自分自身と向き合わなければならない。生きていくことは結局はその連続で、死ぬまで終わりは無いだろう。
「私より幸せな人をすべて殺せば、私も幸せになれますか?」これは、2008年6月11日の東京新聞のコラムで引用された言葉である。同月8日に発生した秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大容疑者が事件前に携帯サイトの掲示板に書き込んだものだという。この記事を読んだ時、何と言ったらよいのか、私はすぐに言葉が出てこなかった。だが、今は違う。はっきりとその問いに「幸せになれるわけがない」と言葉を返せる。自分が幸せであるか、幸せでないか。決めるのは周りに居る人々ではなくて、自分自身が真正面から向き合って決まることだからだ。それは他人との闘いではなく、自分との闘いだ。加藤容疑者がどれだけ苦しんでいたのか、幸せだと感じられる時がどれだけあったのか。どんなにメディアが彼の出生を調べあげたところで、それは分からない。彼本人にしか分からないのだ。どれだけ思い悩んだか、幸せだとどれだけ感じるかは自分にしか判断できない。
身を置く社会が違う、環境が違う、価値観が違う。私が気にしてきたことは生きることを考えるのに欠かせない要素ではある。だが、生きていくことはもっと単純で、誰との闘いでもない。自分に関わることを把握し、周囲のことも頭に入れ、悩み、解決の糸口を探し出す。生きている人はみな、自分自身と闘っているのだ。人間関係に悩む自分、格差に怒りを覚える自分、性差別に悩む自分。この世界で生きる自分と、とことん向き合う。生きていく中で出くわす全ての問題解決の土台は、ここにあるのではないだろうか。この土台なしに、自分が納得のいく答えを出せることはないだろう。
どんな社会に所属していても、どんな健康状態であっても、生きていく上で共通していること。それは「自分が納得のいく幸せを求めて、必死に自分と向き合っている」ということではないだろうか。それができるとき、私たちは自分で満足のいく結果を得ることができる。また頑張ろう、生き続けようと思うのもまさにこのときなのだろう。
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『生きることは自分と向き合うこと』というタイトルで書いたものです。
書いていて、途中で何が何だか分からなくて投げ出しそうになったものの…
何とか書き上げたものの一つです。
最後まで目を通してくれた方、ありがとうございました。
自己満に付き合ってくれてありがとう。・゚・(ノД`)


